かつて自分があどけない少年だった頃、日曜日の朝八時からNHKで放映されていた旅番組です(今でも放映されているのだろうか?)。いわゆる民放系の旅行番組(わー、何て立派な旅館! わー、何て美味しい料理! わー、何て広い温泉!・・・うざっ)と違い、NHKのアナウンサーが、まったりと歩きながら、出会った地元の人々の生活や文化を紹介していくというものです。う~ん、マニアック。というかこんなん小学生が見るもんじゃないよね。
とはいえ、なぜかこの番組が大好きで、日曜日、この番組のテーマ曲が流れ出すと、布団から跳ね起きたものです。このテーマ曲がまた、日曜日の朝からこんなテンション低目でごめんなさい、でもNHKだからしょうがないよね、というぐらい物悲しいメロディでして、朝からしんみり。今でも、この「小さな旅」と、「笑点」のメロディを聞くと、「ああ、休日が終わってしまう・・・」と切ない気持になります。
閑話休題、「地球の歩き方ワシントンDC」によりますと、ワシントンDCはジョガーにとって最高の場所!、らしく、確かにウォーターフロントにあって、自然が豊かで、街並みも綺麗ですから、ジョギングにはもって来いの場所ですね。ついでに観光名所も盛り沢山ですから、ついでに観光を楽しめば、一石二鳥というもの。ということで、ジョギング兼小さな旅in DCに出てみることとしました。
ああ、ちなみに、全然地元の人と交流しないじゃん!、というかそもそも「小さな旅」でアナウンサーは走ってねえよ!、という野暮なツッコミは無しの方向でお願いします。
ところが、走り出して早速気が付いたことには、ジョギング用の短パンのポケットに、デジタルカメラとキーチェインをねじ込むには無理がありますね。ううむ、どうしたものかと迷った挙げ句、結局、カメラと鍵を手に持って走ることに。デジタルカメラを握りしめてジョギングする東洋人・・・。HAHAHA、日本人はホントにカメラ好きで困ったモノサ、と思われたに違いない。
最初は海兵隊戦争記念碑(硫黄島記念碑)から。実はこれ、自分の住んでいるアパートの目の前に、どどんと建っているのですが、あんまり近過ぎてかえってこれまで行く機会がありませんでした。改めて近くで見ると、かなり大きい。全長5~6mぐらいはありそうです。
米海軍にとっては、輝かしい、あるいはその血と汗と涙が結晶した歴史の1ページ(硫黄島上陸の際の、海兵隊の一日当たりの死亡者数は現在まで破られていない)であり、だからこそ海兵隊を代表する記念碑とされている訳ですが、一応、腐っても日本人の自分としては、複雑な気持ちにさせられるところです。あっ、なんか自分が真面目だ。
撮影の後、次なる目的地へ。今日はとりあえずジェファーソンメモリアルまで走ってみることに。ポトマック川(桜で有名)にかかるメモリアル・ブリッジを横断した後、リンカーン・メモリアルやワシントン・モニュメントを横目に、モール(イメージ的には、日本の皇居周辺みたいなもの)を一路南へ。
↑メモリアル・ブリッジより。左手にリンカーン・メモリアル、右手にワシントン・モニュメントが見えます。
↑ポトマック河畔の風景。散歩したり、寝そべっている人達でのどかです。
アメリカの大統領といえば、初代ジョージ・ワシントン、奴隷解放のエイブラハム・リンカーン、WWIIを戦い抜き、史上唯一四選されたフランクリン・デラノ・ルーズベルトが三大巨頭と言えますが、第三代トマス・ジェファソンもまた、彼らに次ぐ知名度と功績を誇ると言えるでしょう。
世界史的には、アメリカ独立宣言を起草した人物、あるいはルイジアナ地方をフランスから買収し、アメリカの領土を2倍以上に拡大させたことで有名ですが、卓抜した弁護士・外交官・建築家・科学者etc.であり、7ヶ国語に精通し、アメリカにおける自由・平等思想の基礎を築いたことで、アメリカ人(特に白人)の間では絶大な人気を誇ります。↑トムさん。
↑トムさんが自ら設計した、ヴァージニア州(DCではないですよ。念のため。)の自宅(モンティチェロ)。何気に世界遺産(ちなみに彼が設立したヴァージニア大学も世界遺産だったり)。世界遺産を2つも作っちゃうってハンパないっす。でも周りを見ても、ほとんど世界遺産って書いてない。世界標準<アメリカ標準のアメリカ人にとっては、世界遺産なんてものは飾りに過ぎんのですよ。日本人にはそれが分からんのです。
とまあ、誠に優秀な方だったわけですが、その一方で、南部の大地主として人種差別的な発言を連発していたり、そのくせ黒人奴隷に手をつけて子供を作っちゃったり、趣味に走りすぎて晩年は破産しちゃったり、となかなかやんちゃなところもあります(そういえば、彼の自宅でも、メモリアルでも、黒人の人たちをほとんど見かけなかったなあ)。まあ、凡人の自分としてはそういった弱点がある方が親しみが持てますけど。第2代大統領ジョン・アダムズとの友情→対立→和解や、二人の最期のエピソードはなかなか感動的です(※)。
ひとしきり見学した後、再び自宅へ向ってジョギング。最近朝晩涼しくなってきたとはいえ、まだまだ日中のDCは暑くてしんどい。次に走る時はもっと涼しくなってからにしましょう。
(※ジェファソンとアダムズの最期のエピソード(地球の歩き方から抜粋)
当初お互い尊敬し協力合っていたジェファソンとアダムズでしたが、政治路線の違い(ジェファソンはリパブリカン(今の民主党)、アダムズはフェデラリスト(今の共和党))から、次第に反目していくようになりました。その対立は、1800年の大統領選で最高潮に達し、選挙で敗れたアダムズは、政権を譲る直前になって、自派の議員を司法長官に任命し、さらに数十名の裁判官を新たに任命するという戦略(ちなみにこの事件は訴訟になって、ロースクールの憲法で最初に習う判決としても有名)に出て、両者の対立は決定的になりました。
時は過ぎ、お互いに引退した両者は、仲介もあり、次第に旧交を温めていきました。その後、健康を害し寝込んだジェファソンは、独立記念50周年の日(7月4日)に、再度ワシントンを訪れることだけを生きる支えにしていました。7月3日の夕刻、病状が悪化したジェファソンは、付き添いの医者に何度も尋ねました。「もう4日になりましたか?」。医者は、ジェファソンの耳元で答えました。「もうすぐですよ」
明けて7月4日、アメリカ中が盛大に独立記念日を祝う中、ジェファソンは静かに息を引き取りました。
一方、同じ日、アダムズも死の床にあって独立記念日を迎えていました。晩年になってようやくジェファソンと和解し、彼との再会を夢みていましたが、それも叶わぬものとなってしまいました。そしてジェファソンの後を追うように、奇しくも同じ年の独立記念日に、ジェファソンの死の数時間後、彼もまた帰らぬ人となりました。最後に、50年前の昔を思い浮かべながら、「素晴らしい日だ(It is a great day. It is a good day.)」「ジェファソンは未だ死なず(Tormas Jefferson survives.)」という言葉を残して。
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